石上神宮(いそのかみじんぐう)は奈良県天理市にある神社。 式内社(名神大社)で、旧社格は官幣大社(現在は神社本庁の別表神社)。中世には二十二社の中七社のひとつとされた。
崇神天皇7年(紀元前91年)、勅命により物部氏の伊香色雄命が現在地に遷し、「石上大神」として祀ったのが当社の創建である。
別名、石上振神宮、石上坐布都御魂神社、石上布都御魂神社、石上布都大神社、石上神社、石上社、布留社、岩上大明神、布留大明神、等。
尚、『日本書紀』に記された神宮は、伊勢神宮と石上神宮だけであり、その記述によれば、日本最古設立の神宮となる。 布都御魂大神は神体である布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊である。 布都御魂大神を主祭神とし、布留御魂大神、布都斯魂大神、宇摩志麻治命、五十瓊敷命(いにしきのみこと)、白河天皇、市川臣を配祀する。 石上神社は、大和朝廷の武器庫として知られ、物部氏(もののべうじ)ゆかりの日本最古の神社。
所在地は、天理市布留町。 境内に入ると驚くのは多数の鶏と泣き声です。
伊勢神宮にも居ました。 結構、神宮と鶏は相性が良い。 パワースポットです。
石上神宮 鳥居 と 石上神宮・楼門
鳥居の前、向かって左に柿本人麻呂の歌碑がある。
「未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者」(おとめらが そでふるやまの みずがきの ひさしきときゆ おもいきわれは)
『布留山(石上神宮の背後の神山、転じて石上神宮境内)に瑞垣(拝殿背後の禁足地の垣)が出来た昔から あなたのことを思っていました。』
石上神宮拝殿(国宝)
石上神宮 出雲建雄神社拝殿(国宝) 正安2年(1300年)頃の建立 と 石上神宮 国宝七支刀
七支刀(ななつさやのたち、しちしとう)は、大王家に仕えた古代の豪族物部氏の武器庫であったとされる奈良県天理市の石上神宮に六叉の鉾(ろくさのほこ)として伝えられてきた鉄剣。
全長74.8cm。 明治時代初期、当時の石上神宮大宮司菅政友が刀身に金象嵌銘文が施されていることを発見し、以来その銘文の解釈・判読を巡って論争が続いている。『日本書紀』には七枝刀との記述があり、4世紀に百済から倭へと贈られたものとされ、関連を指摘されている。刀身の両側から枝が3本ずつ互い違いに出ているため、実用的な武器としてではなく祭祀的な象徴として用いられたと考えられる。その裏表にあわせて61文字からなる銘文が金象嵌でほどこされている。しかし、鉄剣であるために錆による腐食がひどく、読み取れない字もある。 写真は境内の拓本(?)より
[ 銘文 ]
表・泰■四年十■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■辟百兵宜供供(異体字、尸二大)王■■■■作
裏・先世(異体字、ロ人)来未有此刀百済■世■奇生聖(異体字、音又は晋の上に点)故為(異体字、尸二大)王旨造■■■世
また、物部氏(もののべうじ)は河内国の哮峰(現・大阪府交野市か)にニニギノミコトよりも前に天孫降臨したとされるニギハヤヒミコトを祖先と伝えられる氏族。元々は兵器の製造・管理を主に管掌していたが、しだいに大伴氏とならぶ有力軍事氏族へと成長していった。
五世紀代の皇位継承争いにおいて軍事的な活躍を見せ、雄略朝には最高執政官を輩出するようになった。
■平城遷都1300年 日本最古の道・山の辺の道(天理市〜桜井市) 石上神社 の詳細は、 「平城遷都1300年の切手と写真(天理市〜桜井市) 日本最古の道 山の辺の道 」
■今、奈良は「平城遷都1300年」の真っ最中。(写真と切手)