2009.05.29 Friday
古代日本のロマン:卑弥呼と邪馬台国のニュース(箸墓古墳)
奈良・箸墓古墳 「箸墓古墳の築造は240〜260年」…歴博 卑弥呼死亡時期と一致
(2009年05月29日 読売新聞の記事全文を引用しています)
「卑弥呼の墓」との説がある箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)の築造時期について、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究グループが240〜260年とする調査結果をまとめた。31日開かれる日本考古学協会の総会で発表する。この年代は、魏志倭人伝に「卑弥呼以て死す、大いに冢(ちょう)を作る」と記載された247年頃と時期が一致し、倭の女王・卑弥呼がいた邪馬台国の所在地論争にも影響を与えそうだ。同グループの春成秀爾(はるなりひでじ)・同博物館名誉教授は「これで箸墓古墳が卑弥呼の墓であることは間違いなくなった。生前から墓をつくり始めていたのだろう」と話している。
年代は、同古墳から出土した「布留(ふる)0式」と呼ばれる土器に付着した炭化物など約20点を放射性炭素(C14)年代測定した結果、導き出された。 箸墓古墳は全長280メートルで、最初に築かれた巨大前方後円墳。邪馬台国論争の鍵を握る古墳として注目されている。
今回の成果は、木の年輪が1年ごとに幅が違うことを利用した年輪年代測定法で補正していることなどから、慎重な見方もある。寺沢薫・奈良県立橿原考古学研究所部長は「今回測定された土器の試料のうち、築造時のものは少なく、誤差を考慮すれば、まだ結論を出すわけにはいかない」と主張する。
邪馬台国論争を巡って、畿内説をとる白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長(考古学)は「分析の精度は極めて高いと認められ、造営年代に科学的な裏付けが与えられた」と指摘。
一方、九州説の高島忠平・佐賀女子短大学長(同)は「今回の測定法で築造年代が決められるのか疑問。邪馬台国の所在地を決めるにはさらに議論をすべきだ」と語る。
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以前から箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)は卑弥呼の墓と言われて来た。 明日香と奈良の中間に位置し、傍を国道165号線が走っています。現在は、宮内庁により第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されており、研究者や国民の墳丘への自由な立ち入りが禁止されている。倭迹迹日百襲姫命とは、『日本書紀』では崇神天皇の祖父孝元天皇の姉妹である。大市は古墳のある地名。『古事記』では、夜麻登登母母曾毘売(やまととももそびめ)命である。
諸説紛々の状況であるが、店長は近所でもあり京都や奈良にも長く生活した事もあるので真実として認めたい。若し仮に箸墓古墳のある場所が邪馬台国だったとするとと思うと古代ロマンへの興味がやまない。
奈良周辺だけでなく三重にも古墳が非常に多いです。