2006.11.10 Friday
子供の頃の思い出と切手収集
最近歳のせいか自分の生まれ故郷がふっと懐かしく思い出される。
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生まれたのは魚の美味しいところで、東海道五十三次の宿場町・小田原市です。箱根の玄関口です。
生まれてからこの方魚が苦手で困ってます。
富士山や箱根山を見ながら学生時代を過ごしました。
高校卒業までは駅前の緑町と言う所に住んでいて,さながら下町と言った風情で人情味溢れていました。
台風の時期ともなれば近くの小川(どぶ川)が溢れ、そこいら中が洪水。
何とも思い出深い時代でした。
時には停電も頻発し今の時代では考えられない事です・
丁度、中学生の頃に新幹線が開通し、一層観光客が増え賑やかな町になったようです。高校になり郊外の鴨宮へ転出しました。
職安通りの守屋のアンパンや駅前の三角デパートの餃子、箱根登山デパート等懐かしい思い出です。鴨宮では毎朝家からから富士山が見えた・・。
切手については小学校に入る頃病弱で、扁桃腺炎や内耳炎、自家中毒など楽しみが少ない私に父親が教えてくれたのが切手収集でした。
丁度、その頃利殖目的で切手収集を日本国中の人間がしていたが、今となっては懐かしい想い出です。
切手は当初当然日本切手でしたが、其の内にお菓子(グリコやカバヤ?)にもおまけで当時のマラヤやサンマリノの切手が付く様になり綺麗だった事もありこぞって集めた様覚えています。
今から数年前の中国が同じ様に切手収集熱が高まり、中国切手が一時高騰していました。その状況と全く同じでした。
現在は生まれ故郷から遠く離れましたが、墓参りで訪れるとふっと産まれた所を訪問しています。
今後、この様な思い出話も書いて行きたいと思っています。