「世界の切手と海外写真」店長ブログ!

「Kunioの世界の切手紹介と海外写真集」の店長です。切手収集や海外旅行等雑多な趣味・コレクション・写真を通じて日々の出来事や感じた事を書き記してます。神奈川出身、三重県・名張市在住。
戦艦|日本の開国とペリー来航(黒船)
 アメリカ合衆国は石炭補給基地の確保や、日本沿岸で漂流した自国民やその財産の保護、日本との自由貿易などの理由で日本との通商を試みていた。嘉永6年(1853年)6月、アメリカは再び東インド艦隊司令長官に任命されたマシュー・ペリーを派遣する。ペリーは共和党のフィルモア大統領から海軍の作戦行動として日本との条約締結を命じられるが、アメリカでは交戦権が上院に属するため、発砲は禁止されていた。マシュー・カルブレース・ペリー司令長官兼遣日大使は、巡洋艦「ミシシッピー」を旗艦とする東インド艦隊を引きいて、上海で巡洋艦「サスケハナ」に旗艦を移したペリー艦隊は5月17日に出航し、5月26日に琉球王国(薩摩藩影響下にある)の那覇沖に停泊した。ペリーは首里城への訪問を打診したが、王国側はこれを拒否した。53年7月に浦賀沖に来航し、7月14日に久里浜に設置された開国を求めるアメリカ大統領国書を提出し、9日後に帰国。7月にはロシアのプチャーチン艦隊が長崎へ来航。

日本開国100年 黒船(アメリカ、ペリー提督と東京湾・浦賀の彼の軍艦)
ペリー提督とその艦隊(沖縄、1953年)

日本の開国とペリー    日本の開国とペリー

 浦賀沖に投錨した艦隊は旗艦「サスケハナ」(蒸気外輪フリゲート)、「ミシシッピー」(USS Mississippi 同)、「サラトガ」(USS Saratoga 帆船)、「プリマス」(USS Plymouth 同)の巡洋艦四隻からなっていた。


 江戸幕府では老中阿部正弘らを中心に、7月31日に国書を開封、諸大名から庶民まで幅広く意見を求めた。先例を破って朝廷に事態を報告、対策を協議して日米和親条約を結び、下田と箱館を開港し、9月には大船建造の禁を緩和、10月には海外渡航が解禁される。さらにオランダ商館に蒸気船を発注し、60年には勝海舟ら咸臨丸を派遣する。
 嘉永7年・1854年1月、琉球や小笠原諸島などを回航していたペリーが国書の返答を求めるため、再び浦賀へ来航。輸送艦「サザンプトン」(帆船)が現れ、1月16日(同年2月13日)までに旗艦「サスケハナ」、「ミシシッピー」、「ポーハタン」(USS Powhatan 以上、蒸気外輪フリゲート)、「マセドニアン」、「ヴァンダリア」、「レキシントン」(以上、帆船)の巡洋艦六隻が到着した。なお、江戸湾到着後に旗艦は「ポーハタン」に移った。2月6日に「サラトガ」、2月21日に「サプライ」(両帆船)が到着して計九隻の大艦隊が江戸湾に集結し、江戸はパニックに陥った。
 3月3日(3月31日)、ペリーは約500名の兵員を以って武蔵国神奈川の横浜村(現神奈川県横浜市)に上陸し、全12箇条に及ぶ日米和親条約(神奈川条約)が、8月には日英和親条約が、12月には日露和親条約がそれぞれ締結された。

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日本の船舶|飛鳥時代から始まった遣唐使と乗った船
 最初の遣唐使は、630年(舒明2、飛鳥時代)の犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)の派遣によって始まった。中国の皇帝に対して周辺国の君主が貢物を捧げ、これに対して皇帝側が恩賜を与えるという朝貢使であった。遣唐使は、寛平6年(894年) 菅原道真の時に停止となりました。
 遣唐使船は、大阪住吉の住吉大社で海上安全の祈願を行い、海の神の「住吉大神」を船の舳先に祀り、住吉津(大阪市住吉区)から出発し、住吉の細江(現・細江川。通称・細井川。細井川駅)から大阪湾に出、難波津(大阪市中央区)に立ち寄り、瀬戸内海を経て那の津(福岡県福岡市)に至る。その後は、朝鮮半島沿いの北方ルートを取り以降は徐々に南下したルートを取ったったと推定されている。

 日本・遣唐使船
 日本・遣唐使船

 遣唐使船は船底が平底で、まるで箱が海に浮いているようなものでした。遣唐使船は竜骨を用いない平底のジャンク船に似た箱型構造で、簡単な帆を用いていた。横波に弱く無事に往来出来る可能性は低いものであった。4隻編成で航行され、1隻に100人程度が乗船した。八世紀の遣唐使のうち全ての船が往復できたのは、なんとたった一回だけというから驚きです。遣唐使船が四隻なのは、どれか一つでも中国に着くためだったのです。
 どんな思いで乗船したかは察することが出来ます。


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船舶・造船の切手|アメリカの蒸気船
蒸気船(じょうきせん)とは、蒸気機関を用いスクリュー・プロペラや外輪を廻すことより推進する船のことです。

アメリカ・1900年前後の五大湖航路の蒸気船
蒸気船

アメリカ・1900年前後の外洋航路の蒸気船
蒸気船

■18世紀の末頃、ワットその他により発明された蒸気機関を船の推進に応用しようとして、多くの人が汽船を考案し、さらに実験を重ねた。 それらの多くの考案のうち、実用に供せられるに至ったのは次の例である。 シミントン(イギリス)1801年、シャロット・ダンダス号(運河の引き船)、フルトン(アメリカ)1807年、クラーモント号(河川の客船、世界最初の汽船)、ベル(イギリス)1812年、コメット号(河川の客船、ヨーロッパ最初の旅客汽船)。その後、次第に汽船は海洋に出たが、ついに1819年には、サバンナ号(アメリカ、320t)がはじめて大西洋を横断した。蒸気船のタイタニック(RMS Titanic)は、20世紀初頭に建造された豪華客船で、1912年4月14日の深夜に氷山に接触し、翌日未明にかけて沈没。乗員乗客1,513人が犠牲となり、当時世界最悪の海難事故となった。


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テーマ別 船舶切手・エルドラド・黄金の船
テーマ別 船舶切手・エルドラド・黄金の船



コロンビアのインカ(?)の黄金の船。何か子供の頃に読んだ本にエルドラド(スペイン語で黄金郷)がありました。

「なんでも、アンデスの奥地のインディオの部族は、不思議な儀式をやっていたそうだ。そのインディオの首長は、裸の全身に金粉を塗りつけて『黄金の男』に変身すると、金細工できらびやかに装った従者達を連れ、筏で湖へ乗り出す。筏には、黄金やエメラルドが山積みにされている。湖水の真ん中まで来ると、太陽の神への祈りが捧げられ、捧げものの財宝が投げ込まれる。そして、『黄金の男』は、やおら水に体を浸すと、金粉をゆっくりと洗い落とす。金粉は、キラキラと輝きながら湖底に沈んでいく・・・・・」
15世紀、新大陸に渡ったスペインのコンキスタドール(征服者)達が耳にしたこの噂こそ、彼らの血を沸き立たせ、あらゆる艱難辛苦に耐えさせて、アンデスの険しい山の中に駆り立てた『黄金郷』伝説であった。
そして、彼らはついにその湖を見つけた。エルドラドはほんとうにあったのだ。コンキスタドールたちは、その湖グァタピタ湖に近い盆地に都市を築いた。それが今日のコロンビアの首都ボゴタである。(引用:エルドラド(黄金郷)を引用させて頂きました)

何とはなしにワクワクする話ですね。インディージョーンズに代表される様に男はいつも冒険を夢みている。見事にそこを突くものと関心しきりです。
今回はエルドラドの話も然る事ながら船舶切手の頁をOPENしました。画像クリックでおいで下さい。

| kunio切手・写真の店長 | 乗り物|船舶 | 19:44 | comments(0) | - | pookmark |
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