「世界の切手と海外写真」店長ブログ!

「Kunioの世界の切手紹介と海外写真集」の店長です。切手収集や海外旅行等雑多な趣味・コレクション・写真を通じて日々の出来事や感じた事を書き記してます。神奈川出身、三重県・名張市在住。
奈良の写真|名張・万葉の会  藤井寺の道明寺天満宮・境内のさざれ石
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道明寺天満宮・境内のさざれ石

 

■「君が代は千代に八千代に さざれ石の巌となりて苔のむすまで」 国歌に歌われているさざれ石です。
 この石は白亜紀後期(約七千年前)の和泉層礫岩です。悠久の歳月の間に多くの小石が寄り集まってできたもので、河内長野市滝畑から平成の御大典記念として道明寺天満宮の境内に移されたものです。


■名張・万葉の会  藤井寺の道明寺天満宮・境内のさざれ石 他 の詳細は、
 「名張・万葉の会 大阪府藤井寺市と羽曳野市 葛井寺(ふじいでら)から古市古墳群(陵の道)

■今、奈良は「平城遷都1300年」の真っ最中。(写真と切手)


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奈良の写真|名張・万葉の会  藤井寺の恵我長野北陵(允恭陵古墳)
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 恵我長野北陵(允恭(いんぎょう)陵古墳)は、国府台地の北端に立地し、市野山古墳と書いてある文献もある。 墳丘230mの前方後円墳。5世紀中頃から後期にかけての築造と思われる。堤と濠が二重にめぐっています。 三段の墳丘の両側には造り出しが付く。 整美な外観は古墳時代中期の代表的な墳形といわれています。出土した埴輪の特徴から、この古墳の築造年代は5世紀中葉でも新しい時期で、誉田山古墳よりも新しく、岡ミサンザイ古墳よりも古い様相をうかがうことができるという。 江戸時代までは「市野山」と呼ばれ、綿作が行われていました。後円部の外周は旧長尾街道(大津みち)です。 


恵我長野北陵(允恭陵古墳)

 第19代・允恭天皇は仁徳天皇と磐之媛命<(いわのひめのみこと)の間に生まれた第4子である。同母兄に第17代・履中天皇>、第18代・反正天皇がいる。兄の反正天皇が治世5年で崩御した。2年間、大王位は空位が続いたが、妃の忍坂大中姫(おしさかのおおなかつのひめ)の強い要請を受け即位した。西暦412年のこととされている。宮居は遠飛鳥宮(とおつあすかのみや、現在の奈良県高市郡明日香村飛鳥か)に営んだ。 允恭天皇は倭の五王の一人、済(せい)に比定されている大王。 

皇太子の木梨軽皇子(きなしかるのみこ)と同母妹の軽大娘皇女(かるのおおいらつめのひめみこ)の近親相姦による配流事件は、この天皇の治世のできごとである。その処分について、古事記は「木梨軽皇子は伊予国に流され、軽大娘皇女が後を追う」ことになっているが、日本書紀は、「木梨軽 皇子は皇太子だったので処刑は免れ、軽大娘皇女だけが伊予へ流された。」となっている。

 允恭天皇は、後に小野小町の祖とされ和歌の神となる、衣通郎女(そとおしのいらつめ)という絶世の美女を愛した事でも知られる。衣通姫は、柿本人磨呂・山部赤人と並んで、和歌三神と尊ばれているほど。
 

■名張・万葉の会  藤井寺の恵我長野北陵(允恭陵古墳) の詳細は、 「名張・万葉の会 大阪府藤井寺市と羽曳野市 葛井寺(ふじいでら)から古市古墳群(陵の道)

■今、奈良は「平城遷都1300年」の真っ最中。(写真と切手)


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特集|平城遷都1300年関連  伊賀の大村神社・虫喰(むしくい)の鐘
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 三重県の忍者の里・伊賀にあります”地震除け”地震の神様『大村神社』(おおむらじんじゃ)のお話しをしましょう。

 大村神社は、三重県伊賀市にあり、近鉄大阪線の青山駅の南西2Kmほどの阿保に鎮座しています。 165号線から木津川を越えた場所にある丘の上が境内。 参詣したときは女性の宮司さん(?)が親切に対応してくれました。 

 古来の本祀は伊賀国阿保村を本貫とした阿保朝臣の氏族がその始祖におわします。お鎮まりになる阿保村は伊賀国東南部の西は名張川に及ぶ、上津、中津、下津、阿保村が占める大村で第十一代垂仁天皇の皇子息速別命(いこはやわけのみこと)の為に宮室を此の地に築かれ、命及び御子孫が代々居住し、文化の移入、土地・産業の開発に尽くされ地名に因って阿保朝臣の姓氏を賜った。阿保氏族は始祖息速別命を氏神として大村神社を創祀し地域の諸部族、遠近の庶民が亦開発開運の神として厚く崇敬をあつめた。(大村神社参拝のしおり)

 地震の話は別項でします。 境内には、虫喰の鐘(むしくいのつりがね)という、鐘があります。 下は説明書きです。



『大村神社』虫喰の鐘


 虫喰の鐘(むしくいのつりがね)は、日本三大奇鐘のひとつといわれる虫喰鐘は境内の鐘楼にあります。鐘乳はぼろぼろと虫が喰ったように全て朽ち落ち、・・・いろいろな伝説が伝わっています。現在は除夜の鐘・請願成就の鐘として広く信仰をあつめています。(鐘楼の入口の説明)


    『大村神社』虫喰の鐘


 緑青が吹いていますし、相当の年数を経過したようです。 一度伊賀の里のおいで下さい。 忍者だけでなく物珍しいのもがあります。 この寺の一番は要石で、地震の災いよけに一番ご利益があるそうです。 三重は昔から地震が多いところで、近々起こるといわれている地震にもご利益があると思います。
 鐘の話で、諸願成就と昔話は一致しませんがご愛嬌で。


■「平城遷都1300年関連  伊賀の大村神社・虫喰(むしくい)の鐘」の詳細は、 「平城遷都1300年の切手と写真 壬申の乱と西三重(名張市・伊賀市・津市)

 該当頁では、平城遷都1300年関連の切手と写真を掲載しています。

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奈良の写真|名張・万葉の会 岡ミサンザイ古墳(伝仲哀天皇陵→雄略天皇陵)
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 藤井寺では今、百舌鳥・古市古墳群を世界文化遺産への準備を進めています。

 岡ミサンザイ古墳(おかミサンザイこふん)は、藤井寺にあり古市古墳群に属する前方後円墳。宮内省では仲哀天皇陵とも。陵名は惠我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)で、第14代仲哀天皇の陵墓に治定されている。

岡ミサンザイ古墳のハッキリ分かる前方後円墳の姿

岡ミサンザイ古墳


 築造年代は5世紀後半。 墳丘の長さは242メートルで、古市古墳群では4位、全国で18位の規模の古墳。中世に城郭として利用された形跡があり、当初の状態から大きく変化している。 数年前までは蓮の花が沢山見られたとの事ですが、今は一切なし。 また付近は昔はモモの栽培で、モモ林が広がっていたとの事です。
 またガイドさん曰く、時代考証などから仲哀天皇陵ではなく、雄略天皇陵が正しいとの事。 信憑性を感じます。


岡ミサンザイ古墳


■雄略天皇(ゆうりゃくてんのう、允恭天皇7年(418年)12月 - 雄略天皇23年8月7日(479年9月8日))は、第21代の天皇(在位:安康天皇3年11月13日(456年12月25日) - 雄略天皇23年8月7日(479年9月8日))。 大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけるのみこと)、大長谷若建命・大長谷王(古事記)。 大悪天皇・有徳天皇とも。
 また『宋書』・『梁書』に記される「倭の五王」中の倭王武に比定される。都は、近畿の泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)。稲荷山古墳出土金象嵌鉄剣銘に見える「斯鬼宮(しきのみや ・磯城宮)」も朝倉宮を指すと言われる(別に河内の志紀(大阪府八尾市)とする説もある)。大阪府羽曳野市島泉にある高鷲丸山古墳(円墳・径76m・島泉丸山古墳とも)と平塚古墳(方墳・辺50m)に比定されている。 だが、此方の陵の方が信憑性があると言われている。



■岡ミサンザイ古墳(伝仲哀天皇陵→雄略天皇陵)  の詳細は、 「名張・万葉の会 大阪府藤井寺市と羽曳野市 葛井寺(ふじいでら)から古市古墳群(陵の道)

■今、奈良は「平城遷都1300年」の真っ最中。(写真と切手)


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奈良の写真|名張・万葉の会 奈良県・談山神社 念誦崛(ねずき)
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 念誦崛(ねずき)というのは地名で、奈良県の談山神社から徒歩20分くらいの所です。
 退屈な林道をしばらく進むと「念誦崛不動尊コノ下」と彫られた石標が立っている。往復15分程度だから、時間が許せばぜひ立ち寄ってみたい。苔むした谷合へ下りていくと、岩に陽刻してある不動尊が、迫力の表情で迎えてくれる。不動尊の足元の岩間から湧き水が染み出しており神秘的だ。この不動尊は昔、土中に埋もれており、ある人の枕元に立って「掘り出せば病を治してやろう」と告げたという。その通りに掘り起こせば、その人の頭痛が治ったという。
 元の林道へ戻り、先へ進む。今度は右手上方に古い石仏群が見えてくる。紫蓋寺(しがいじ)の跡地である。

 入口にあったお地蔵様

  

念誦崛(ねずき) 



 坂(若しくは石段)を登っていくと、地元の人や僧侶の古い墓が立ち並ぶ。形も卵塔から道祖神のようなもの、年代もかなり古いものがあり興味深い。最後に長い石段を登りきると、石を何重にも積み重ねた丸い巨大な半円形の遺構・念誦崛にたどり着く。

 増賀上人の墓を中心に妙楽寺一山僧侶の1000基に近い墓碑、石仏が残っています。平成の刻印もありましたが、全てが古く苔むした感じです。
 また念誦崛は斉明天皇が造営した両槻宮が、その名の起こりとも伝わるそうです。

 ※増賀(ぞうが、延喜17年(917年) - 長保5年6月9日(1003年7月10日))は、平安時代中期の天台宗の僧。比叡山で慈恵大師(元三大師)良源に師事して天台教学を学び、963年(応和3年)如覚の勧めで多武峰(奈良県桜井市)に住し、「摩訶止観」「法華文句」を講じ、「法華玄義鈔」「無限念仏観」などを著した。また、毎年四半期ごとに法華三昧を修した。
 一方不動供(不動明王を供養する修法)などの修法や法華経読誦を行い奇瑞を現したという。高い名誉や利権を嫌い、奇行譚を多く残した。
 入滅の様子は、『今昔物語』にも記されているとか。また『徒然草』に「増賀ひじりのいひけむやうに名聞くるしく……」とあるようで、名をなした高僧よりも念仏三昧に明け暮れた増賀上人をたたえたものだそうです。

 ただ、増賀上人の墓の辺りの気配はただならぬものがありました。 戻る途中には出口で2m位のシマヘビがお出迎えでした。



■詳細は、 「名張・万葉の会 奈良県桜井市(多武の道) 談山神社 長谷寺(総本山)

■今、奈良は「平城遷都1300年」の真っ最中。(写真と切手)


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奈良の写真|名張・万葉の会 奈良県・談山神社 御破裂山(おはれつやま)
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 御破裂山(おはれつやま、標高607m)は、多武峯(とうのみね)の最高所の一つで標高607メートル、頂上が藤原(中臣)鎌足を埋葬する周囲270mの円墳である。 鎌足の墓山は天下国家に異変があると鳴動すると伝えられている。 多武峰尊像破裂(御破裂)の始めが昌泰元年(898)、江戸時代までに鳴動は37回あり、いつの頃からか、御破裂山と呼ばれるようになった。

御破裂山



 御破裂山(おはれつやま)から見える大和盆地は格別に素晴らしい。
 大和三山も眼下に見渡せます。


御破裂山 御破裂山




 御破裂山や談い山へは、談山神社の権堂(平成の大修理中)左横から登る。凡そ30分。
 付近に生える野草も、植物は好きですが、在り来たりのものでは無い感じがしました。 
この付近に自生する樹木は植物学上において大変貴重な存在とされ、珍しい木々が沢山植わっています。


■詳細は、 「名張・万葉の会 奈良県桜井市(多武の道) 談山神社 長谷寺(総本山)

■今、奈良は「平城遷都1300年」の真っ最中。(写真と切手)


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奈良の写真|奈良県高市郡高取町 「町家の雛めぐり」と壺阪寺
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 2010年4月初め。奈良県高市郡高取町。 
浄瑠璃「壷坂観音霊験記」の舞台の壺阪寺と土佐街道(お城への道)沿いの「町家の雛めぐり」ではお雛様を一般の民家でも観光客に飾り見せる事で有名です。 写真はメインのイベント会場の本当に多数のお雛様です。





 他には日本一の山城・高取城、高取は漢方薬の本場で、色んな家が何かしら薬に関わっている地域です。 「薬」と高取のつながりは古くは万葉の昔にさかのぼります。もともと薬となる動植物が生息していたことに起因し飛鳥の宮廷行事の一環として雅やかに薬狩りが行われていました。以来千数百年の歴史を経て今日の製薬 卸業売薬の繁栄がもたらされました。
 町中を歩いていても、何故か薬のにおいが漂っています。 民家の軒先には、造花ではなく本物の綺麗な花々がお客様を出迎えてくれます。



 壺阪寺にある天竺渡来大観音石像は、インドハンセン病救済事業のご縁でインドからご招来したものである。 インド国民の協力と南インドカルカラの三億年前の古石がインド政府や様々な方のご支援で、提供され、延べ7万人のインドの石工が参加してすべて手造りで製作された。
 20mの巨岩は動かすことも、運ぶことも不可能なので66個に分割して彫刻し、日本に運ばれ組み立てられた。 この巨岩を支える土台は深く基礎岩盤にまで掘り下げられ、数万巻の写経と土台石が埋納されている。 また、胎内には数万巻の写経と胎内石が納められ、66個の石が1本の巨石となっている。 大きな観音様です。

      



 壺阪寺(南法華寺)は、大宝三年(七○三年)に元興寺の僧、弁基上人が建立の、古くから観音信仰が盛んに行われた霊場です。
 平安時代を代表する随筆のひとつ『枕草子』の中で清少納言によって「寺は壺阪、笠置、法輪」と賞賛されるこのお寺は、真言宗の寺。西国三十三ヶ所めぐりでも六番札所として、本尊十一面千手観世音菩薩(室町時代の樫材の寄せ木造)は眼病に霊験あらたかな観音様、目の観音様として全国各地から毎日多くの参拝者が訪れます。




万葉の会 奈良県高市郡高取町(高取の道)


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奈良の写真|名張・万葉の会 奈良県桜井市(多武の道) 談山神社 長谷寺(総本山)
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名張・万葉の会で、奈良県桜井市(多武の道)の談山神社、母の日も近く老母を連れ、長谷寺(総本山)に新緑の頃、行って来ました。 談山神社では紅葉の青葉、長谷寺では牡丹の甘い香りにむせ返りました。

 中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は、たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中(=談山神社)に登って、「大化改新」((たいかのかいしん)は飛鳥時代の孝徳天皇2年春正月甲子朔(西暦645年)に発布された改新の詔(かいしんのみことのり)に基づく政治的改革。中大兄皇子(後の天智天皇)らが蘇我入鹿を暗殺し蘇我氏本宗家を滅ぼした乙巳の変(いっしのへん)の後に行われたとされる(この暗殺事件もまとめて大化の改新と呼ぶこともある)。)の談合を行いました。
  談山神社は紅葉でも有名ですが新緑の季節も素敵です。
 

大化の改新 談山神社




 同じく奈良の桜井市にある長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市にある真言宗豊山派(ぶざんは)総本山の寺。山号を豊山神楽院と称する。本尊は十一面観音、開基(創立者)は道明上人とされる。
 丁度、牡丹の花の時期で、境内中牡丹の花だらけ。 匂いがする花とは思っていなかったので少し意外です。
 長谷寺は、「枕草子」、「源氏物語」、「更級日記」など多くの古典文学にも登場しています。
 

新緑の長谷寺



 右手には数珠とともに、地蔵菩薩の持つような錫杖を持ち、方形の磐石の上に立つ姿の十一面観世音菩薩様の足をパンフレットの様に触り無病息災を願いしてきました。
 また、登廊や境内を埋め尽くす、大輪の牡丹(ボタン)の花は見事の一言です。

花の寺・長谷寺の牡丹


 老母には流石に長谷寺の登廊の399段はシンドイので、代わりに観音様への願掛けは私がしました。 入口で坊さんに粉末の御香を手につけて貰い、手もみした上で、5色の腕輪(観音様と結びつくの意味があるそうです)を左腕につけて貰い、観音様に家内安全と家族の健康、老母の長寿をお願いしました。 勿論、十一面千手観世音菩薩様の足に触れた手を老母の手にこすりつけて、腕輪もちゃんと老母の左腕につけてあげました。 


詳細は、 名張・万葉の会 奈良県桜井市(多武の道) 談山神社 長谷寺(総本山)

今、奈良は「平城遷都1300年」の真っ最中。(写真と切手)


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