「世界の切手と海外写真」店長ブログ!

「Kunioの世界の切手紹介と海外写真集」の店長です。切手収集や海外旅行等雑多な趣味・コレクション・写真を通じて日々の出来事や感じた事を書き記してます。神奈川出身、三重県・名張市在住。
インドのデリーにある世界最高のミナレット クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)

JUGEMテーマ:世界遺産(海外)

インドのデリーにある世界最高のミナレット クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)

 インドのデリーにある世界最高のミナレット クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)は世界遺産となっています。
 クトゥブ・ミナールは、1200年ごろに奴隷王朝の建国者であるクトゥブッディーン・アイバクによって、クワットゥル・イスラーム・モスクに付属して建てられた。 ヒンドゥー様式とイスラーム様式が混在した様式となっている。内部を見学してみるとヒンドゥー教・ジャイナ教の寺院などを破壊し、その石材を転用して制作されたものの様です。


クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)

モスクの聖壇(ミハラブ)部分・・ヒンズー様式とイスラム様式が混在しているモスク


クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)

崩れてしまったモスクの残された巨大な壁の装飾。 タイ・バンコクの世界遺産で見た様な? 確か仏塔プラ・スワンナ・チェディを支えているヤックの様な感じがします。


クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)

 クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)は、高さが72.5mあり、世界で最も高いミナレット(Minaret)。これでも地震や落雷などで先端が崩れた後に修復してあり、当初は100mほどの高さがあったという。直径は、基底部14.3mに対して先端部2.75mであり、文字どおりの尖塔である。
 ミナレットは、イスラム教の宗教施設に付随する塔。塔の上からはイスラム教徒に礼拝(サラート)を呼びかけるアザーンが流される。初期イスラーム世界では、ミナレットはイスラームの権威の象徴となっていた。 そういえば、エジプトに行った時には早朝の4時頃から耳をつんざくような音量でアザーンが流れていた事を思い出します。


クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)

 モスクの境内の中に、4世紀に作られたヒンドゥー教の錆びない鉄柱(『チャンドラヴァルマンの鉄柱』)が立っています。100%に近い高純度の鉄で作ったとされる鉄柱は、1600年経った今でも錆びずに残っている。 鉄柱表面に刻まれたサンスクリット語の碑文によると、この鉄柱は西暦415年、マウリヤ朝によって作られた。
 頂上には装飾的なチャクラがあしらわれている。 直径は約44cm、高さは約7m、地下に埋もれている部分は約2m、重さは約10トン。 これも世界遺産となっています。 一般に『アショーカ王の柱』と呼ばれているが、アショーカ王の建てたものではなく、アショーカ王より700年近くも後のもの。


クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)

 クトゥブ・ミナールから北に150mほど離れた場所に、未完のミナレットであるアライ・ミナールがある。財政難で工事が中断し、現在は直径25mの巨大な基底部を見ることができる。 完成していればクトゥブ・ミナールを超え、100mを大きく超える塔になっていたとされる。


クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)

参考ページ 「アジアの旅行写真|摩訶不思議な国インド旅行 デリー 世界遺産
      「微笑みの国・タイ 天使の都・バンコク(Bangkok)を中心にローズ・ガーデン等

#クトゥブ・ミナール #デリー #世界遺産 #ミナレット #鉄柱


| kunio切手・写真の店長 | 海外旅行|アジア | 17:06 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
モザイク博物館として再出発した世界遺産「血の上の救世主教会」

JUGEMテーマ:世界遺産(海外)


 血の上の救世主教会(血の救世主教会、スパース・ナ・クラヴィー教会)は、ロシア、サンクトペテルブルクにあるロシア正教会の聖堂。 公式名は、ハリストス復活大聖堂、血の上の教会(Church on Spilt Blood)の名称でも知られる。 世界遺産。
 この名称は、1881年3月13日(ユリウス暦3月1日)に起こったロシア皇帝アレクサンドル2世は女性革命家ソフィア・ペロフスカヤによって指揮された「人民の意志」のテロリストにより暗殺された事件によるもので、教会が建つ場所は、まさしく皇帝遭難の地(グリボエードフ運河の河畔)にあります。  高さは94m。外壁は、レンガ、モザイク画、タイル、大理石によって覆われている。 玉ねぎのような形状の屋根や無数のモザイク画に彩られた壁面から、モスクワの聖ワシリイ大聖堂(生神女庇護大聖堂)を思い起こさせるが一寸違う様に感じる。


血の上の救世主教会

 教会の建物は、モスクワのワシリー教会が赤やオレンジの暖色系を使っているのに対し、こちらは青や緑の寒色系が使われています。ファザードにかかる全能者ハリストス(イエス・キリストのギリシャ語読みに由来する。 ハリストスが天上の王であり審判者である事を示している)のモザイク画は見事です。
 しかし、この教会の見どころは中。 中はロシアらしいモザイク画にあふれています。小さいですが、見応えがあります。


血の上の救世主教会

 血の上の救世主教会のバーツを撮影したもの 外側のカラフルな装飾が可愛らしい。
 教会は無数のトパーズ、青金石(ラピスラズリの原料)および他の半貴石で飾られていて豪奢な印象を与えています。 残念ながら。中は見れませんでした。 場所はネフスキー通りから少し歩いたところにあります。


血の上の救世主教会 血の上の救世主教会 血の上の救世主教会

 1997年8月、血の上の救世主教会は、ロシア革命以前から公的な礼拝としてではなく暗殺されたアレクサンドル2世を慰霊していたロマノフ家の施設であったという理由で正教会の大聖堂としての完全な復活はなされず、公的な奉神礼は殆ど行われる事のない、麗々しいモザイク博物館として再開することとなった。



参考ページ 「サンクトペテルブルグ 聖イサアク大聖堂と血の上の救世主教会

#血の上の救世主教会 #サンクトペテルブルク #アレクサンドル2世 #モザイク画


| kunio切手・写真の店長 | 海外旅行|ヨーロッパ | 14:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
日露戦争当時の防護巡洋艦がサンクトペテルブルグにあった

サンクトぺテルブルグはその街並みから、古都だと思われますが、実は1703年に、ピョートル大帝によって何もない沼地に人工的に創建された街です。そして、文学・音楽・バレエ・美術・演劇・建築などの芸術に端的に顕れるロシア文化の集積場所。その事から、1990年には「サンクトペテルブルグ歴史地区と関連建造物群」として、世界遺産にも登録された。
水の都・サンクトペテロブルグのヴァシリエフスキー島は大ネヴァ川と小ネヴァ川に挟まれた島で、先端の岬の辺りがストリェールカと呼ばれる島の中心。 学問の中心でもある。


旧証券取引所(現:海軍博物館)

ネヴァ川の防波堤のそばには、何やら古めかしい船が浮かんでいる。 何と日露戦争で使われた船だそうです。
防護巡洋艦・アヴローラは、極東に回航され太平洋艦隊に配備されるヂアーナ級防護巡洋艦3隻の1隻として、1897年5月23日サンクト・ペテルブルクのアドミラルティ造船所で起工した。しかしロシア海軍は致命的な欠点があった。ロシアには不凍港がなかったのである。これを得るためにアジアに勢力を伸ばそうとし、日露戦争が勃発した(南下政策)。 アヴローラは、1905年5月27日に連合艦隊と交戦(日本海海戦)し、艦長が戦死するなど損傷を負った。かのバルチック艦隊の一隻だったということ。 


防護巡洋艦・アヴローラと海軍軍事学校「Nakhimov」

その後、1917年10月25日アヴローラは、外洋への航海命令に抗命し、ここに十月革命(ロシアの首都ペトログラード(後のレニングラード、現在のサンクトペテルブルク)で起きた労働者や兵士らによる武装蜂起を発端として始まった革命)の火蓋は切られた。同日午後9時45分前部主砲が砲撃を開始し、これを合図に冬宮(現在のエルミタージュ美術館の本館)攻撃が開始され、アヴローラの乗組員も戦闘に参加した。


ネヴァ川から見るエルミタージュ美術館 冬宮

現在は、ロシア革命の象徴のひとつとして記念艦となり、サンクトペテルブルクのネヴァ川の河畔に係留・保存されている。 中央海軍博物館分館のすぐ前です。 
バルチック艦隊は、ロシアないし旧ソビエト連邦海軍のバルト海に展開する艦隊を指す。 日露戦争の事をロシア人に聞くと必ず日本に勝利したという。


日露戦争(1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と、日本海を主戦場として発生した戦争である。1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。講和の結果、ロシア領の南樺太は日本領となり樺太庁が設置され、ロシアの租借地があった関東州については日本が租借権を得て、関東都督府が設置されるなど日本の勝利で終わった。


防護巡洋艦・アヴローラ

アヴローラのそばで モデルさん 写真撮影は有料です


アヴローラのそばで モデルさん 

サンクトペテルブルグの中心を通るネヴァ川の支流のモイカ川に沿った河岸通りには、ミハイロフスキー城、オランダ総領事館、フランス総領事館、日本総領事館、プーシュキンの家と博物館、ケンピンスキー・ホテル、ストロガノフ宮殿、マリインスキー宮殿などがある。 とりわけ、ストロガノフ宮殿は、建築家バルトロメオ・ラストレッリの設計によるロシア・バロック様式の建築で、1753年から1756年にかけて建造された。1988年からロシア美術館の分館として使用されている。 ビーフストロガノフの発祥地として有名。


ストロガノフ宮殿

参考ページ 
 2017年5月白夜のサンクトペテルブルグへ
2017年5月水の都サンクトペテルブルグへ(クルーズ編)


| kunio切手・写真の店長 | 海外旅行|ヨーロッパ | 20:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
奇跡をもたらすチフヴィンの生神女(Theotokos of Tikhvin)

JUGEMテーマ:世界遺産(海外)


 世界遺産の聖イサアク大聖堂(Saint Isaac's Cathedral)は、ロシア、サンクトペテルブルク中心にあるロシア正教会の大聖堂。 聖イサアク大聖堂には3つの宝座がある。中央にあるのはダルマチアの聖イサクの名、左は聖アレクサンドル・ネフスキー大公の名、右は聖大致命女エカチェリーナの名の宝座。最も崇められている聖物の一つはティフヴィンの生神女イコンの写し。大聖堂の高さは101.5メートル。市内ではペトロパヴロフスク大聖堂に次ぐ高さである。高さ43メートル部分には、柱廊と展望台がある。ここは市内で最も訪問の多い観光スポットの一つ。内装には金400キロ、孔雀石16トン、青金石500キロ、銅1000トンが使われている。 この大聖堂はサンクトペテルブルグのどの場所からもよく見えます。


聖イサアク大聖堂

高さ100m超、面積が800平方mの世界最大級の 主祭壇のイコノタス


主祭壇のイコノタス

サンクトペテルブルグ 聖イサアク大聖堂にチフヴィンの生神女(Theotokos of Tikhvin)の写しがある。 チフヴィンの生神女は、正統派のキリスト教の最も有名なの一つであるイコン。エバンジェリストの聖ルカによって書かれたアイコンの一つと言われています。伝説によれば1383年6月26日(ユリウス暦)に、チフヴィンカ川の岸に出現したとされ、湖の上を浮遊していた。


チフヴィンの生神女

参考ページ 「ロシア旅行の写真 サンクトペテルブルグ 聖イサアク大聖堂と血の上の救世主教会
世界遺産 血の上の救世主教会は後日ご紹介します。

#聖イサアク大聖堂 #サンクトペテルブルグ #チフヴィンの生神女 #Theotokos of Tikhvin


| kunio切手・写真の店長 | 海外旅行|ヨーロッパ | 15:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
スキポール空港閉鎖の時に宿泊したホテルで見つけた 魚のトルネードとメレンゲ菓子

2017年12月中旬-予定では、スキポール空港(オランダ・アムステルダム)とストックホルム(スウェーデン)経由でフィンランド共和国(フィンランド語: Suomen tasavalta)のヘルシンキへでした。 スキポール空港では大雪の為に着陸できない状況が発生、1時間ほど上空で状況を見るが無理。 一旦、ドイツのハンブルグ空港へ着陸し再度スキポールへ。 ところが、KLMの案内では、全ての後続の離着陸はキャンセルとなり、仕方なく雪の中、苦労の末にホテルを確保。 そのホテルで見かけたことです。


スキポール空港

宿泊したホテルは、メルキュール ホテル アムステルダム シティ サウス(Mercure Hotel Amsterdam City South)  Joan Muyskenweg 10, De Omval, Amsterdam, The Netherlands アムステル川沿いに位置する4つ星ホテルです。徒歩わずか6分の地下鉄オフェルアムステル駅から、市内中心部、スキポール、RAI、アムステルダム・アレナ、ジッゴ・ドーム、ザイダス(アムステルダムのビジネス地区)へアクセスできます。 清潔なホテルでした。
※アムステル川(Amstel)は、アムステルダム中心部で各運河に接続された後にアイ湾に流入する川。13世紀にアムステル川の河口にダムを造って町を造ったため、アムステルダムという名前となったといわれている。


メルキュール ホテル アムステルダム シティ サウス

その1階を散策すると、何とバーカウンターの上に魚がトルネードしている。お酒を飲みながら上のトルネードを見ていると酔いが早くなる気がしました。
魚が群れる理由は、まだ解明されていませんが、外敵から身を守るため、捕食のため、産卵のため繁殖のため、季節・気候の影響のため群れているという等いろいろ説は有るそうです。


魚がトルネード

オランダのメレンゲ菓子 大きさは一つが15-20cmもあろうかというほどの大きさ。 流石に買いませんでしたが、食べたらきっと凄く甘いに違いない。 マシュマロの様なふわふわした感じではなく、固そうでした。


メレンゲ菓子

もう流石に夜の帳もどっぷり落ち、窓から眺めるアムステルダムの中心部は今なお明るい。


アムステルダムの夜景

翌朝もスキポール空港は閉鎖中で、急きょスウェーデン行きはキャンセル、フィンランド行きを決め、バスにてドイツ・デュッセルドルフ空港へ向かう。 その前に朝食を、日本人好みのする味でした。 これから起こる災難に全く気付かずに出発。 距離は80−90kmと言われていたが、これでもまたトラブル発生。 ベルギー、オランダ、ドイツの国境辺りで大きな貨物トラックがジャックナイフ形に停止し雪の降る中3時間も高速道路を閉鎖させた。 フィンランド航空の出発時間にギリギリ間に合った。


ホテルの朝食

参考ページ 「2017年12月 フィンランドのヘルシンキ

#オランダ #メルキュール #フィンランド #魚のトルネード #メレンゲ菓子 #アムステルダム #スキポール


| kunio切手・写真の店長 | 海外旅行|ヨーロッパ | 15:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
世界遺産 タージ・マハル廟(Taj Mahal)のあるアーグラ(Agra)

JUGEMテーマ:世界遺産(海外)


アーグラ(Agra アグラ)はガンジス川最大の支流であるヤムナー川沿いに位置する都市。
古代叙事詩の『マハーバーラタ』において、アグラヴァナ(「前方の森」の意)と表記されていた。3世紀のプトレマイオスが制作した世界地図にも、その位置が記されている。2018年4月19日訪問。環境保護のため付近への車両の乗り入れが禁止されており、駐車場から入口までは歩くか電動自動車に乗り換える必要がある。

タージ・マハルは、ムガル帝国王妃ムムターズ・マハルのための総大理石の白亜の霊廟。 ムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンによって建立。 インド・イスラーム文化の代表的建築で、1632年着工、1653年竣工とされる。 1983年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、2007年に新・世界七不思議に選出された。 庭園奥には中央に高さ5.5mの基壇の上に立つ白亜の墓廟があり、四隅には4本の尖塔が建っている。4つの尖塔は「皇妃に仕える4人の侍女」に喩えられる。 墓廟は横と奥行きがどちらも57mの正方形を基本に、四隅が切られた変形八角形をしている。対して高さは丸屋根上部までが58m、上に据えられた頂華の長さを加えると更に高くなる。


真正面 タージ・マハル

南の大楼門は赤砂岩づくりで高さ約30m。イスラーム建築で多用される大きなアーチを持つイーワーンであり、両側には八角形の太い塔がある。イーワーンの上には、ファテープル・シークリーの寺院にも見られる白い鍾乳石の型体をした11個の丸屋根がある。奈良東大寺の南大門(25.4m)をしのぐ大きさ。

【ニューデリー時事】インドでは、北部ウッタルプラデシュ州アグラで2018年4月11日夜に最大瞬間風速が時速100キロ(秒速約28メートル)を超える暴風が吹き荒れ、世界遺産「タージマハル」の門が損傷した。現地紙タイムズ・オブ・インディアなどが報じた。 一時、時速130キロ(秒速約30メートル)に達した風の影響で、タージマハルの門の上に設置されたミナレット(尖塔(せんとう))の2本が倒壊した。一方、霊廟本体を囲むより高いミナレット4塔は無事だった。(AFP)

左はタージ・マハルのチケット売場  右は南の大楼門


タージ・マハルの入口 南の大楼門

タージ・マハルは南北560m、東西303mの長方形の敷地にある。南端の約1/4部分は前庭があり、その北端にある大楼門を挟み広がる庭園は一辺296mの正方形であり、水路と遊歩道によって東西南北それぞれに2等分され、さらにそれぞれが4つの正方形で区分されている。その北には敷地の約1/4を占める基壇の上に、廟堂を中心に西側にモスク、東側に集会場がある。


東側の集会場 タージ・マハル

墓廟に刻まれたコーラン 墓廟 南入口(南の大楼門から入る口)と墓廟 北入口


墓廟 南入口 墓廟 北入口

タージ・マハルの建材:大理石はラージャスターン地方のジャイプル産。赤砂石はファテープル・シークリーの石切り場から運ばれた。翡翠や水晶は遠く中国から、トルコ石はチベットから、サファイアや瑠璃はスリランカから、カンラン石はエジプトから、珊瑚や真珠貝はアラビアから、ダイヤモンドはブンデルカンドから、アメジストや瑪瑙はペルシャから集められた。他にも、碧玉はパンジャーブ地方から、ラピスラズリはアフガニスタンから、カーネリアン(紅玉髄)はアラビアから取り寄せられたものだという。 


西側のモスク

タージ・マハル墓廟から見た南の大楼門(大風で事故があった部分・右側のミナレットが無い)


タージ・マハル墓廟から見た南の大楼門

【ニューデリー時事】インド北部を2018年5月2日、猛烈な砂嵐が襲い、AFP通信によると少なくとも116人が死亡した。犠牲者の多くは、倒れた木や家の下敷きになったとみられる。地元民放NDTVによると、世界遺産「タージマハル廟(びょう)」があるウッタルプラデシュ州アーグラでは43人が死亡したという。  NDTVは「嵐が家を倒壊させ、木を根こそぎにし、電線を引きちぎった。死者の多くは、就寝中に崩れた家の下敷きになった」と報じた。在インド日本大使館によると、これまでのところ日本人が被害に遭ったという情報はない。(時事ドットコム 2018/05/03-23:44)

#アーグラ #タージ・マハル #インド #ムガル帝国 #世界遺産



参考ページ  「タージ・マハルのあるアーグラ(Agra) 世界遺産


| kunio切手・写真の店長 | 海外旅行|アジア | 13:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
モスクワ 世界遺産 クレムリン

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クレムリンは、ロシア連邦の首都、モスクワ市の中心を流れるモスクワ川沿いにある旧ロシア帝国の宮殿。ソビエト連邦時代にはソ連共産党の中枢が置かれたことから、ソ連共産党の別名としても用いられた。現在もロシア連邦の大統領府や大統領官邸が置かれているため、ロシア政府の代名詞として用いられる。正面には赤の広場がある。「モスクワのクレムリンと赤の広場」として、世界遺産に登録されている。 見学は半日の駆け足で見ましたが、見るべき場所はたくさんありました。 特に今回は記載していませんが「武器庫」がそれで歴代の皇帝の宝物が収められていて、驚き。 当然撮影禁止でした。 
観光客の入口「ボロヴィツカヤ(松林)塔」


ボロヴィツカヤ(松林)塔

生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂)は、かつてのモスクワ大公国の母教会であり、ロシア正教会の著名な大聖堂である。1547年に、イヴァン4世の、ロシアで最初のツァーリとしての戴冠式が当大聖堂で執り行われ、1721年より、ロシア皇帝の戴冠式の舞台となってきた。また大聖堂正面の広場は、ムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」の有名な戴冠式の場面として設定されている。


ウスペンスキー大聖堂

大聖堂広場に面し建つアルハンゲリスキー大聖堂は、1505年から1509年にかけて建立。5個の丸屋根を持ち、内陣にはタタールのくびき(13世紀前半に始まったモンゴルのルーシ侵攻とそれにつづくモンゴル人(モンゴル=タタール)によるロシア・ウクライナ・ベラルーシ支配)からロシアが解放された絵やイコンによって飾られる。イワン雷帝他歴代皇帝の納骨保管所となっている。
イワン雷帝(1530年8月25日-1584年3月18日 、モスクワ・ロシアの初代大公)は、きわめて残虐・苛烈な性格であったため、ロシア史上最大の暴君と言われる。


アルハンゲリスキー大聖堂

砲身は全長5.3メートル、厚さ15センチ、口径89センチ、重量40トンの凄い大砲:大砲の皇帝(大砲の王様、ツァーリ・プーシュカ)と1733-5年に製造された全高6.1メートル、直径6.6メートル、重量200トンの鐘の皇帝(鐘の王様、ツァーリ・コロコル)


大砲の皇帝 鐘の皇帝

聖ワシリイ大聖堂(ボクロフスキー聖堂、「聖ワシリー大聖堂」「聖ヴァシーリー大聖堂」「聖ワシーリー寺院」)はロシアの首都、モスクワの赤の広場に立つロシア正教会の大聖堂。  正式名称は「堀の生神女庇護大聖堂」。  1551年から1560年にかけて、イヴァン4世(雷帝)が、カザン・ハーンを捕虜とし勝利したことを記念して建立した。ロシアの聖堂でもっとも美しい建物のひとつと言われる。主聖堂、八つの小聖堂のそれぞれに至聖所があり、合計九つの聖堂が集まって一つの大聖堂を形成している。
ちょうどこの日は、ロシアの高校の卒業式の日だったそうです。トレイに行っても全員(男女問わず)が高校の制服に着替え(実際は現在では制服は無いそうで、一昔前の制服)、赤の広場は大賑わいです。失神して倒れる女性もいました。 また、モスクワで結婚式を挙げたロシア人カップルが、挙式後に訪れる定番地の一つとしても知られている。


聖ワシリイ大聖堂

赤の広場(クラースナヤ・プローシシャチ)は、長さは695m、平均道幅は130m、面積は7万3,000m2。 広場の名前は本来「美しい広場」というものであった。 南西側にはガガーリンやスターリン、片山潜などが眠るクレムリンの城壁とその中の大統領官邸、城壁に接しているレーニンの遺体が保存展示されているレーニン廟、北東側にはグム百貨店・・・。
当日はプーチンさんがいるらしく、写真の様に旗がひらめいていました。確かに規制が強かった。


赤の広場

ロシアの高級デパートのグム百貨店(GUM)は、ロシアの首都モスクワの赤の広場にある百貨店で、「グム」とはロシア語で「総合百貨店」を意味する略称、1893年建設。 ロシア革命含め、いろいろな時代を過ぎてきていますね。


グム百貨店(GUM)

参考ページ 「モスクワ 世界遺産 クレムリン


| kunio切手・写真の店長 | 海外旅行|ヨーロッパ | 16:29 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
サンクトペテルブルグの世界遺産 絢爛豪華なエカテリーナ宮殿 

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エカテリーナ宮殿は、サンクトペテルブルク中心部から南東25kmの郊外の避暑地に存在し、第2代ロシア皇帝エカチェリーナ1世(在位:1725年 - 1727年)に由来します。 世界遺産「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」に指定されています。


エカテリーナ宮殿

エカテリーナ宮殿の全長325mに渡るファサードの装飾は見事であり、それ以上に長く見えます。 宮殿の周辺では、緑豊かな庭園に囲まれて、色鮮やかな建物はさながらテーマパークようです。
宮殿の建設にかかわる費用は惜しみもなく使われ、外装用の金だけでも約100kgは使われた。
一度この場所を見た人は、必ずその美しさに息をのむと思います。 彫刻の繊細さ・色使いどれをとっても見事です。 類推するに、ロシア帝国はピョートル1世の死後、女帝と幼帝が続いたことも関係していると思います。


エカテリーナ宮殿

エカテリーナ宮殿の内部に入ってみましょう。これを自身の財力で収集したのかと思うと言葉が出ません。 ほとんどが金ぴか!床を汚さないよう、靴の上にスリッパを履いて宮殿内部へ。写真OKです。
エカテリーナ宮殿 見るものに有無を言わせない大広間 1791年、日本人の漂流民大黒屋光太夫(三重県鈴鹿出身)が帰国を願うため、エカチェリーナ2世(在位:1762年 - 1796年)に謁見した場所


エカテリーナ宮殿


■関連ページ 「ロシア旅行の写真 サンクトペテルブルグの世界遺産 エカテリーナ宮殿

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シルクロード|「月の砂漠」に出てくるような敦煌の鳴沙山、月牙泉

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 鳴沙山(めいさざん)は、敦煌の市街から南に6キロのところに位置する砂山で、以前は神沙山と呼ばれていました。 風が吹くと音をたてるので、鳴沙山と呼ばれるようになりました。
 鳴沙山はすべて砂が堆積してできたもので、東西に約40キロ、南北に約20キロ広がっています。 山腹には風が創り上げた、美しい水波状の砂紋があります。 入場料として120元を払って中に入ります。



敦煌の鳴沙山


 月牙泉は鳴沙山の北麓に位置する三日月形(中国語で月牙)の湖です。 以前は今の約5倍の大きさがあったといわれています。 砂漠の中で2000年という時を経ても、絶え間なく沸き続け、澄んだ美しい水を湛えています。
 古来には仙人が住む場所として、寺院が建てられたこともあったようです。 現在も湖を挟んで正面に立派な寺が建てられています。
 水の中には50-60cmの大きな魚(たぶん鉄背魚でなくソウギョと思う)が多数いました。 訪問したのは2016年6月4日。
 ≪ニュース≫甘粛省敦煌市観光局の2016年5月2日発表によると、5月1日、国際的な観光都市・敦煌市の有名観光スポットの月牙泉に非常に珍しい「鉄背魚」が水面に姿を現し、一目見ようと集まった大勢の観光客が写真に収めていた。中国新聞網が伝えた。(詳細



月牙泉


 鳴沙山の上から見た月牙泉 砂漠のオアシスの風情で神秘的な景色で絶景です。 緑色にたたずむ泉と楼閣、その後ろにある砂丘、は絶妙のコントラストを醸し出しています。 砂漠を歩き疲れて、この泉にたどり着いた昔の人々は、さぞかし幸せな気持ちになったのではないでしょうか。



敦煌の鳴沙山、月牙泉


 シルクロードといえば、砂丘を駱駝に乗った商隊が進んでいく様子を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。 朝日や夕日を浴びて金色に輝く風景は、幻想的で美しく、我を忘れて見入ってしまいます。 その中を観光用のラクダが列を作って行く姿は、まるで月の砂漠そのものです。 ちなみに鳴沙山の東の麓には莫高窟が拡がっています。



敦煌の鳴沙山


 中国人の観光客は一様に、靴に砂が入らないようにオレンジのカバー(有料)を着けていました。確かにいいアイデアだが、中国人は何でもお金に換えてしまう。



参考ページ アジアの旅行写真|シルクロード 敦煌はシルクロードの分岐点として栄えたオアシス都市
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アリゾナ|自然の見事な造形物 アンテロープ・キャニオン(Antelope Canyon)

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 アンテロープ・キャニオン(Antelope Canyon)は、アメリカ合衆国アリゾナ州ペイジ(Page, Arizona)近郊の、ナバホ居留区(ナバホ・ネイション)に位置しています。
入るには一人当たり8ドルの費用を出し、見学にはナバホ族が運営するツアーを利用します。アンテロープ・キャニオンはアッパーキャニオンとローワーキャニオンに分かれ、アッパーキャニオンの方が圧倒的に人気があります。今回はアッパーを見ました。
 場所はアリゾナ州のペイジという町のそばで大きな3本の煙突(レイクパウエルの発電所)が見えてくると、もう近い。



ナバホ居留区(ナバホ・ネイション)

 ガイドさんはナバホ族の出身で、おばあさんが所有していた土地が、そのアッパーアンテロープ・キャニオンだったそうです。今はフェニックスに住み通っているようです。
 アッパーキャニオンは、キャニオン頂上(約36m)の開口部から直接放射する日光の光線が狭い渓谷内に差し込み、幻想的な景色に入り込む事が出来る。
 アンテロープ・キャニオンは、ナバホの言葉でツェー・ビガニリニ(Tse bighanilini、「水が岩を流れる場所」)の意味を持つ。高さは12mの大きな洞窟になっています。

 


アンテロープ・キャニオン(Antelope Canyon)


 アンテロープ・キャニオンは、もともとはロッキー山脈が隆起してきた際に出来たコロラド台地の一部で、一時的に(地質史的に)隆起した台地を流れていく水が、柔らかい砂岩を侵食して出来たもの。周囲のナバホ砂岩の侵食によりできた何百年にも及ぶ地層を形成しており、これは主として鉄砲水のほか、風成の侵食によるものである。
 特にモンスーンの時期に降る雨水はアンテロープ・キャニオンの一部である谷間を流れ、より狭い通路を流れるにつれ水は加速して砂を拾いあげる。 その後長い時間をかけて通路が侵食されると、狭い通路は更に広くなり岩の鋭さはより滑らかにされて、岩の「流れる」ような特徴を形作る。こうして独特の岩の通路が、長い時間をかけ完成された。



アンテロープ・キャニオン(Antelope Canyon)


★ナバホ居留区(ナバホ・ネイション):グランドキャニオン国立公園の東に広がる地域に、アメリカインディアン最大の部族、ナバホの住む大地があり、ナバホ・ネイション(ナバホの国)と呼ばれています。大きさは北海道ほどで、人口はおよそ30万人。
 ここは準自治区になっており、彼等は議会を作ってこの地域を管理・運営しています。モニュメント・バレーやアンティロープ・キャニオンはこの地域にあるので、トライバル・パーク(部族公園)に指定されています。



ナバホ居留区(ナバホ・ネイション)


参考ページ アメリカ合衆国(USA)旅行写真|アンテロープ・キャニオンとホースシューベンド
| kunio切手・写真の店長 | 海外旅行|アメリカ | 18:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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